片付け頭

まず区画ごとに物品をカテゴリー分けする(仮の容れ物があったら便利じゃないかな)。全区画が済んだら、それぞれを収納先に運び戻す。(そこに入りきらないからこうなってるんじゃないの?)いいから。その間に洗濯機を回し、順次ベランダに干し、いやまず寝具を干し、(こないだ買った来客用のはどうするの、どこにも入らないじゃないか!)…いやまず部屋干ししてるものをしまい(あ、あのDVD今日返却だ!ちゃんと気づいたよ!)うるさい!ゴミ袋はいったん台所に(さっきの仮の箱だけど、職場にたくさんあったバナナの段ボールがいいと思うな)うるさい!あ、この珈琲豆まだ味見してない。

という感じ、おれの掃除。

(もういいから始めよう)

始めよう。

(音楽スタート!)




草食系どころか草そのものの男

食うために働くことも、そもそも食うことも面倒な男に天啓が下った。もう光合成でもするしかない

手加減のない荒行、人びとの好奇の視線、そして無視に耐え抜き、男はついにその能力を獲得した。見るがいい、彼の緑なす髪、青っぽい顔。彼の両足は大地に深く埋ずまっている。脛の毛がひげ根の役割を担うのだというが、それを聞くものはいない。

修業は長く苦しいものだった。まず土を食ったが、それは明らかに間違いだった。
二酸化炭素では肺を破った、で溺死しかかった。しかし成道のいま、それらは男の中で睦まじく手を取り合う。かつては肌を爛れさせた日差しが祝福していた。崩れかけの礼拝堂のような男の身体で、炭素と水素の婚礼が始まるのだ。

「…皆ひとこぞりて見るがいい。これこそが、かのパラケルススファウスト博士が追い求めた科学の結婚の実相である。それは陽が昇るたびに繰り返し繰り返され、絶えることがないであろう。そのたびに滋養にみちた甘露が導管だか師管だかを通ってわたしの身体を満たすであろう。それがどちらの管でも同じことである。わたしはもはや食うために働くことも、食うこともしないであろう。
レタスのような肌色に変わりながら理科が苦手だった男は言った。


ところで、光合成の秘法を会得した男も、ときには風邪くらいひいた。流行りのしつこい夏風邪だった。彼が吐き出したイソジンガーグル液は青紫に変色していた。それを見ていた暇な小学生が、男を自由研究の題材にした。

"地面に生えているおじさんのヨウ素でんぷん反応について"  と題された写真や図入りの手書きの模造紙は、市庁舎の"暮らしいきいき掲示板"に掲出され、やがて国の省庁に送られた。まずは教育学術関連の、そのあと農林水産物関連、それから1億を総活躍させるやつに。

ほどなく男は菊の紋のハッピを着た植木職人たちに足元の土ごと根鉢を巻かれ、目隠しをされ、ユニックで引っこ抜かれて2トントラックの荷台に載せられ、そのまま何処かへ運ばれていった。とかとかつく名前の研究機関だろうと人々は噂した。

ただラボと呼ばれる巨大で窓ひとつない白い建物の内部には、強力な日焼けサロンのライトが昼夜を問わず輝いていた。
そのなかで男は、簡単なアンケートに答える、様々な運動をしてみせる、暗い顔をした女性をあてがわれる…等々の"実験"に"喜んで協力"させられたのち、「栄養価も味も悪くはないが種無し。栽培困難。」と結論づけた農学者の助手達に食われてしまった。あてにしていた業績が不意になった腹いせである。前腕部のおひたしは酒といけると好評だったが、指先の虫喰いの部分はむしって棄てられた。哀れな不稔種の男がそれを知ることはなかった。はにかむ小学生が皆の前で表彰されてから3年後のことである。

時は過ぎ、かつては暇で見どころのあった小学生も忙しい普通の大人になった。
平凡だが幸福に年老いた彼の両親のリビングには、古ぼけた表彰状が記念写真とともに今も誇らしげに飾られている。
おしまい。

20歩の逸脱

いつもの出口から駅を出た。改札を出て真っ直ぐバスロータリーへ。これもいつも通り。雨は上がっていたが次のバスまで15分もあった。

いつもならそのままぼんやり突っ立っているのだが、寒くて仕方ないので引き返し、駅の別の出入り口になっている本屋へ入った。何年かぶりの店内は改装で小洒落たふうになっていたが、相変わらず買いたいものはなかった。俺は本屋に入るときは基本的に何かを買いたい気持ちでいる。しかし自己啓発本やビジネス書を買って読むくらいなら…してるほうがマシだ。…に当てはまる気の利いた単語が思いつかない。首を振りながら店を出た。そこで足が止まった。見たことのない景色だった。

いつもの出口からほんの20歩ほど左の位置に俺はいた。そこからの景色を俺は知らなかった。
毎日こっちを眺めてはいた。それこそもう何年も。乗るのもうんざりなバスをうんざり待ちながらいつも眺めていた場所に、気がつくと自分が突っ立っていた。舞台の描き割りだとか、よく知ってはいるが好きでもない絵のなかに入りこんだような、そんな妙な気分だった。
(それにしても、仕事から解放されても同じ道筋のみを歩くような無関心と倦怠が普段の俺を支配している。これは恐ろしいことではないか。)

何年か前に我が駅前広場は、駅が吐きだす客を大型の商業施設が囲い込むような格好に再開発された。反対から見たところで、広場じたいはのっぺりとして退屈なしろものだった。張りぼてじみた建物に囲まれて空が見えた。それもどんより曇っていた。

what a small world (in my pan)

夕飯は慢性的に鍋を食っている。
居候がいたとき、来る日も来る日も仕事から帰ると鍋でない食事が作られていることにキレて追い出した。悲しい思い出だ。「俺は毎日鍋ばっか食いたいんだよ!」近頃はたえて来る人もないので、安心して来る日も来る日も鍋を食っている。
鍋の種類は基本的に水炊き、調理というよりは加熱。切って茹でてポン酢。薬味はいろいろ使う。

このところは妙に寒いので味付きの鍋が続いている。一昨日は豆板醤と胡麻で担々麺的なの、きのうはそれをベースにニンニクと酢を入れてチゲ風にした。
今日その残りになんとなくお好み焼きソースを少し足したら驚くほどカレーの方向に振れた。なぜそんなことをしたのかはよくわからない。
チゲからカレーの驚き、カレー粉なしにカレーの困惑。和中韓ときて大阪経由インド行き。鍋の中で世界は合一する。おめでたいことだ。

良い天気だ、こんな日に

俺に宿題を出すなんて、冷蔵庫に洗濯物をしまって安心するような事態だという理解が足りない。或いは買ってきた野菜を洗濯機にしまう、或いは宿題を冷蔵庫にしまって安心するような事態だという理解が。


安心するな!理解しろ!

宿題を洗濯機で洗うな。俺に洗濯物をしまうな野菜!野菜は俺にしまって安心。


安心が足りない。

事態に或いは。が足りない。


理解した。洗濯物に対して俺が足りない。これは正しい。常時n個数の洗濯物に対して常時単数であるところの私は…云々、QED


或いは洗濯物には野菜が足りない。(いいぞもっと頑張れ。)

或いは宿題は俺に理解が足りない。(これじゃそのままだ。)


或いは、ええと、或いは。



フランツ・カフカ・キャッスルランド

入場するなり捕まったり虫扱いされたりする。実質的軟禁型のテーマパーク。


運良くゲートをくぐったそこが見世物小屋の檻の中であったりしなくても、なんとなくあるらしい中心部にはやはりなんとなく辿り着けない。来場者はみな"K"と呼ばれ、慇懃に扱われる。


城壁で囲まれた園内は、よくわからないドアや袋小路だらけで、目玉になるはずの万里の長城はずっと建設中につき無料。

アトラクションの境界ははっきりせず、気がつくとクリア条件ばかりが増えていく。どうやらそれが退場手続きと連動しているらしい。

"Kさんですな?お待ちしてましたよ。ご心配には及びません。これはほんのロールプレイ型のアトラクションでして。それはもうエントリー前よりも安全なくらいで。こんな簡単なアトラクションをお選びになったK様は運が良い!いつもなら長蛇の列、抜かした抜かされたと大賑わいですからね……!"

"Kさんにはエントリーと同時に形式的な被告人となって頂くだけでして。ほんの形式、ロール・プレイ、ロールプレイですよ!…しかしこの訴状にはですね…"


スタッフには門番や伝令の他に火夫や家長、下級官僚や未亡人風のがいて、何かと仄めかしたり気まずかったり、うっかりすると言質取られたりする。


退場手続きは煩瑣を極めるが、スタッフ(なのかどうかもよくわからない奴ら)はどいつもこいつも自分はほんのバイトだからとか、本当の事を言うと、もともと自分もいちKだからここの出かたはよく分からないのだと申し訳なさそうに言う。


噂によれば鳴り物入りでオープンしたものの、そもそも入場が困難すぎて閉園。