輪ゴムでヒマを潰せるか

混んだ電車。隣の老人が絶え間なく手をごそごそしていて、何をしているのかと思ったら両手の人差し指と親指に掛けた2本の輪ゴムを組み合わせてそれらをどうにかしようとしているようだった。ほとんどの人がスマートフォンを弄っているなかで、輪ゴム。僕は釘付けになった。

 

二本の輪ゴムは無色とレモンイエローで、普通の輪ゴムより少し太くて、質感も硬そうに見えた。
アヤトリや知恵の輪遊びの類いにしては力が要るようで、彼の肘はときおりがくがくと震えるほどだった。そのたびに僕に当たるのがけっこう不快だった。手指を動かすリハビリかトレーニングだろうか。
しばらくじっと見ていても手指と輪ゴムによる構造がとくに変わることはなく、彼が輪ゴムをどうしたいのか僕にはてんで理解できなかったが、そんな僕の遠慮ない凝視もお構い無しに、彼はとにかく輪ゴムに没頭していた。僕が電車に乗ってから降りるまで、それはずっと続いた。

 

その可能性は大いにあるが、僕はあれが老化防止の脳トレとか、なにか目的があるような行為であって欲しくないと思う。そういうことなら他人にぶつからないところでやれ。
しかし、もはやそう長くも生きていないであろう人間が意味不明の輪ゴム遊びに熱中していると思って見ていると、その様子はなにか素晴らしい、少なくとも興味深いもののように僕には思えた。

ベケットの『モロイ』の主人公は、6つのポケットと口のなかにある7つの「おしゃぶり石」を満遍なく順番にしゃぶるという楽しみとその複雑な手順を嬉々として述べている。純粋な遊びというのはそういうもののような気がする。本当にそんなものがあるのかはわからないけれど。