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もう写真が貼れなくて気落ちした。
次からはすべて小さくする。

風邪のまま日月と仕事、火曜早あがり。薬も効いてたので川へ。このところ風が強い。
時間があるときは、場所が決まってもすぐ描かない。弁当でも食べながらぼーっとする。そのために昼に食わないでいたりする。ひとり外で食う飯はうまい。

長い散歩をしたとき、誰もいない堤防道を歩きながら食ったのり弁が、今まででいちばんうまいコンビニ弁当の食べ方だった。サンドイッチとかじゃ味気ない、新味もない。そこはお箸使ってどうぞ。

視覚矯正/死角嬌声

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何を描き何を省くかの判断。そこには描くことの何かがある、見ることの何かがある。ひょっとしたら暮らしもおんなじじゃないか?俺のはどっちもえらい省きようだ、よく見えてもいないのに。

見えないから省く、というのは簡明だがそれで良いのか。よく分からないところでとりあえず伝統やら慣習に従う/従わないというのもでてくる。絵で言えば、例えば葉っぱの333、マティスが真っ向否定したやつ。
全てを見ることも見える全てを描き表すことも原理的にありえないが、だれかの要約しかたに帰依するのはごめんだ。伝統や慣習など知り得なかった人間にも描けるものでないといけないという気持ちがある。

しかし、俺が時間をかけて見つけたものはただの333、歯抜けの慣習にすぎないことは図書館が常に教えてくれる。
すでに描かれたものは甘美だ、すでに生きられた生は甘美だ。そのどちらも知るほど甘さを増す。

欲張って視野いっぱいのものに手を出すから翻弄される。近寄って部分の研究をすること。


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仕事とスケッチの帰り、バスから降りた暗い歩道。前のおっさん達がなんかつっかえてて死ねと思ったら、脱いだジャージを自転車前輪のブレーキに噛ませた子供が立ち往生していた。懐かしい問題。俺車輪回すからそっち引っ張れ、いやそっち違うやろ。
小2くらい、かっこいいメガネをかけた、ちゃんと礼の言える男の子だった。
幸多からんことを。


追悼番組


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今日はひどく眠かった。仕事が終わるともう暗すぎて、川のスケッチは諦めた。帰るなり布団をかぶった。
テレビでは紳助の追悼番組がやっていた。上岡龍太郎がしんみりと紳助に語りかけてるのを聞いてるうちに、臭い演出だと思いながらもつい涙が出た。気がつくと声をあげて泣いていた。その声で眼が覚めた。事実泣いていた。俺はどちらかというと紳助のことが好きでない。よくわからない。
絵の左の実はマンゴスチンの乾いたやつ。Gペン・インク。