予告された忘れ物の記録

野外環境整備の講習の帰り。俺は電車に乗る前に土のついたズボンを替えようと思って、トイレの個室に入った。
向こうでさっさと着替えておくんだったと思いながらドアのフックに背負ってたザックを引っ掛けた。

汚れたズボンのポケットにはタバコとケータイとサイフが入っていた。トイレ個室の隅にある物置きにそれらを置きながら、ここに置いた、忘れるなよと思った。
(タバコ・ケータイ・サイフ・カギ。これは俺が外出前にいつも唱える呪文で、ズボンのポケットに入れているものだ。今日に限ってカギはキーホルダーの携帯灰皿を使うためにザックのカラビナにつけていた。)

ズボンをはき替える際、俺はズボンの裾が床のタイルに触れないように注意を払わなくてはならなかった。不安定な片足立ちのあいだ、ドアにもたれ掛かることでなんとかうまくやった。はきかえたヘンプのズボンの皺が気になった。

脱いだ手でたたんで壁面の手すりに乗せた作業ズボンには土が付いている。それをそのままザックに入れるわけにはいかない。ザックからビニール袋を取り出そうとしたら、それに引きずり出されるかっこうで、昼間飲んでいたコーヒーの空き缶が床に落ちた。カッカランと音がした。電車に乗る前に捨てようと思った。
作業着を詰め込んだザックを背負い、空き缶を片手に個室を出た。鏡の前で帽子をすこし直した。

トイレを出ると電車が来ていた。
いちばん後ろの車両のいちばん後ろのドアに駆け込んだ。空き缶を持ったままの俺の後ろでドアが閉まった。


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 あとは人の不幸が好きな向きにはつまらない話だ。席について血の気が引いた。あすこに置いた。それは、忘れてなかった。しかし、俺のズボンのポケットは空っぽだった。車掌さんに、"さっきの駅のトイレにケータイと財布を忘れたので、駅員さんに今すぐ連絡してください"と頼んだ。わかったと言いつつ、彼は次の駅で俺が降りるまで連絡はしなかった。到着駅名のアナウンスのほうが優先順位が上なのだろう。
降りた次の駅は無人駅だった。ひどい気分で引き返す電車を待った。電車の中では走りたいような気分だった。
もといた駅に着くと、まずトイレを確かめた。もうなかった。続いて改札へ。駅員室の窓から見慣れた皮財布とiPhoneが見えた。
素早く回収してくれた親切な駅員さんにお礼を言い、受け取りのサインをして、財布の中身と照合してもらい、返してもらった。それで帰って来られた。










30秒以内にボタンを押せ、と、それは言った。

今朝、身体がだるいので、ダイドーの喋る自販機で100円のアスパラドリンクを買ったら、"もう一本オマケ" が当たった。みんなは当たったことがあるものなのだろうか。僕は生まれてはじめてです。恐る恐る2本目のアスパラドリンクをもらいました。

そのあと僕は、昼前から頭が痛くなり、背中が冷たくなり、鼻水が垂れだし、ゾンビに噛まれた人がゾンビになっていく確実さでもって風邪ひきの病人に変身していきました。夕方に帰ってからは寝込んでいます。
ちなみに今日は用事で午後休でした。僕は休みにだけ風邪をひく呪いがかけられている。

独り身の風邪は辛いものです。(食事の用意くらいのことですが。)  
当たったアスパラドリンクは(もの言うけど)もの言わぬ機械、あるいは、録音音声を話すだけの原始的ロボットであるダイドーの喋る自販機が僕にくれたお見舞いだった。
明朝出勤前に飲むつもりです。

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祝福してやる

上半期の山を越えた、たぶん。だから機嫌が良い。たんに夏だからかもしれない。

素晴らしい、それは素晴らしい日々がおれをまっている。お前を待っている。おれが請け合う。いいから信じろ。

仕事すればやり手、描いた絵は売れて、バンド始めればモテモテ、背表紙で本の内容を理解、食欲湧き、身体大きくなり、寝つき良くなり、寝起きも良くなり、起きれば自然なお通じがあり、お化粧のノリも良くなり
両親仲良くなり、あいつとあの子はよりを戻し、金縛りに合わず、未明に目覚めず、無明に惑わず、無表情で過ごさず、不幸を見過ごさず
うっかり懸賞に当たり、家は西麻布あたり、胃炎快癒し、腱鞘炎緩解に向かい、頭冴え、身体にキレ、いやな縁も切れて、家に金を入れて、洗濯物は干すなり乾いて
耳鳴りが止み、外に出れば雨止み、心澄み渡り、きちんと青信号で渡り、空は晴れ渡り、そこを鳥が渡り、それはどこまでもどこまでも晴れ渡り…

…そんな素晴らしい日々がおれを待っている。
おまえを待っている。
もう一度いう、おれが請け合う。

一人乗りの潜水艦

乗りこむのに特別な資格は必要なく、これといった訓練もない。ただし、航行中そこらじゅうに穴が開く。水が入ってくる。そらそこにも開いた、はやく塞ぐんだ、ひよっこめ。艦長が叫ぶ。乗組員は他にない。塞ぐ道具も材料もない。両手両足では追っつかず、肘や膝、果ては尻や頭を壁に押し付けて凌いでいる。背後からちょろちょろと音がする。背中を後ろに押しつけると、左の膝が穴から離れてしまう。真下からも水が湧き出した。まるで澄んだ泉のようだ。艦長は叫ぶ、本艦は…!乗組員が続ける、…限界であります!

浜辺。悪童たちがよく揃ったハードル走のフォームで波の頭を跨いで駆けてくる。遠浅で揺れる奇妙な張りぼてを蹴りまわす。小便をかける。銛で滅多刺しにする。

ふええ。とか、うへえ。とか言ってんじゃねえよ

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正直に言え。
お祈りを信じている/信じない家の人たちをどう思っていた?そういう家の子である友達をどう思っていた?
正直に言え。
すべては因果律によるのでなく、気まぐれな神の意志によると信じている人たちがいると知ったとき、お前はどう思った?
あるいは正直に言え。
すべてお見通しである、名も言えぬようなそれの存在と救いを信じない人たちがいると知ったとき、お前はどう思った?

可哀想に、と思ったのではないか?

正直に言え。
民主制や資本主義とそれ以外をお前はどのように習い、どのように受け取っていた?テリーマンと同じ仲間でも、ラーメンマンブロッケンJrは改心した悪役ではなかったか?テリーマンもそうだったっけか?

正直に言え。
着飾った者しか入れぬホールの音楽を、曲のひとつも書けない奴が弾き散らすソロを、刺青だらけの奴らの勤勉さの結晶である早弾きを、学芸会のようなセットと歌を、悪そうな奴らのマジな親への感謝を、スナックから漏れ聞こえる四七抜きの旋律を、実在するとは信じ難かった上司のマイウェイを、それからやっと解放された駅前で車高短の黒いワンボックスが撒き散らしているウーファーの低音を、お前はどう思って聴いている?

正直に言え。
金持ちに囲われた坊主や画家が描いたものを行列して見に行くお前は、誰に頼まれるでもないのに湧き出すように描かれ続ける、あの目と乳ばかりでかい少女のイラストをどう思っている?…あるいは正直に言え。虚構である限りにおいては人畜無害ですとかいうイメージを愛でるお前は、理論で武装した者にしか解読不能のすかした実質的投機対象をどう見ている?

すべては一見趣味の問題に見える。が、本当にそうかしらん。知らん。

では最後に言え。
お前がかつて信じ、していたような言動を示す人をどう見ている?
それが恐ろしいことに、あの頃と変わらない。

「屁のつっぱりはいらんですよ!」
「言いたいことはよくわからんが、とにかくすごい自信だ…!」



So to say walking ビジネス書

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Ok, read it out…

「おはようございます!」


…So to say; 言うなれば

歩くビジネス書今日も吐いて捨てる

お前だけに聴かせる、冴えたやりかたの flow

ソースは無料、アルファかなんかのブログ

どこかの誰かが書いて捨てた憶測


ジャーゴンまぶした社会批評

言いたいだけの ほにゃらら2.0

今がイノベーション

明日のソリューション求め

今日も颯爽とTLを逍遥


「ソーシャルは情報収集のツールっすね、モチベーション上げるっつうか、高いステージの人の声も聴けますし


視点は俯瞰で切る社会感情

自分はそこから抜けてる勘定

割にいつも人の目気にしてきょろきょろ

気がつけば習慣は7の階乗



大切なのは最適化

「俺もスタートアップするいつか」

大切なのは最適化

「今日も勉強になりました!」

僕の知るなかで最も静かなひとり遊び

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片目をつむり、頭を少し傾けたりして、見えているものの輪郭をくっつけたり揃えたり繋いだりする。僕知るなかで最も静かなひとり遊びです。

雑多な場所であれば、ほんのすこし視点をずらすだけで輪郭どうしがくっつくものが見つかります。輪郭線の重なりからはいろんな形も見つけられます。それはきれいな三角形や平行四辺形であったり、もっと非典型的な図形だったりもします。ただそれらをぼんやり眺めます。

放心しているときはもとより、会話の最中や食事中なども気がつくとこれをしています。目の遊び癖になっているのです。ナプキンや箸袋をなんとなくきっちり揃えて置き直すのに似ています。


もっと静かな(破瓜的な?)のでは、単に目のピントを外した状態でいることも多いです。これは両目を開けたままでもやります。片目をつむる場合は、開けておくのは利き目の左が多いです。こっちは隠れた形を探したりすることもなく、ただ見えるに任せています。両目の像がずれている様子だとか、器質的なノイズに気を取られていることもあります。

ブルーフィールド内視現象 - Wikipedia

これとか。

物心ついた頃にはすでにこれらのような目の使い方に親しんでいました。食事中などはよく怒られました。

こういう習慣があることで人よりも見ているもののことがよく分かるとか、見たものを長く憶えていられるとか、そんな役にはたちません。寧ろその逆かもしれません。


これらのが面白いのかは、自分でもよく分かりません。

これらの見かたは通常の意味で何かをよく見るのとは違います。「見えているもの」がどうなっているかよりも、「見えていること」じたいに驚いているような節もありますが、いつも本気で驚いていたらまともに生活なんてできませんから、気分程度の事です。