視覚矯正/死角嬌声

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何を描き何を省くかの判断。そこには描くことの何かがある、見ることの何かがある。ひょっとしたら暮らしもおんなじじゃないか?俺のはどっちもえらい省きようだ、よく見えてもいないのに。

見えないから省く、というのは簡明だがそれで良いのか。よく分からないところでとりあえず伝統やら慣習に従う/従わないというのもでてくる。絵で言えば、例えば葉っぱの333、マティスが真っ向否定したやつ。
全てを見ることも見える全てを描き表すことも原理的にありえないが、だれかの要約しかたに帰依するのはごめんだ。伝統や慣習など知り得なかった人間にも描けるものでないといけないという気持ちがある。

しかし、俺が時間をかけて見つけたものはただの333、歯抜けの慣習にすぎないことは図書館が常に教えてくれる。
すでに描かれたものは甘美だ、すでに生きられた生は甘美だ。そのどちらも知るほど甘さを増す。

欲張って視野いっぱいのものに手を出すから翻弄される。近寄って部分の研究をすること。