不毛な無毛の話(俺は無一物と無一文の区別がつかない)

苛々するとバリカンを取り出して頭を丸める。何ミリとかそんなアタッチメントはつけない。本当は剃り上げたいくらいだが、面倒だし、痛いし、切り傷なしにはすまないのでバリカンで青くしている。

坊主頭は19の頃に失恋して長髪をやめてからの習慣だ。生え際が後退してきてるからではない。結果としては同じことだが。まあいい。禿げにしてるうちに禿げてきたらそのまま禿げにし続けて禿げて死ぬ。

頭を丸めるときに、いっしょに口と顎の髭を落とす。普段は剃らない。残念ながら、もみあげと髭は繋がっていないし、その気配もない。繋がったところでたぶん似合いもしない。顎髭も別に似合ってはいない。あれは生やすものでない。生えるものだ。


風呂場で新聞など敷いて頭を丸めてる最中に思うことが二つある。いま荷物や地震がきたらまずいな、ということと、時代が時代なら俺は出家してたかもなあ、ということだ。
植木屋として、いろいろのお寺に出入りしてた頃、行った先の人や、職人の先輩方から「君は…お寺の子か?」としばしば訊かれた。親は熱心にお経をあげる人たちだったが在家で、当然俺は寺の子ではない。仏教に親近感はあるが、信仰してもいない。(俺が親近感をもつのは、原始仏教だ。迷信を排し、因果を説き、語りえぬものについては無記で答えた、ほとんど反宗教的な思想運動としてのそれ。)

ところで庭は、ところにより私設の観光資源としての機能を負う。衆目を引く為にあっちを作ってはこっちを壊し、こっちに派手な花木を植えては、こないだ植えたのをぶっこ抜いて奇妙な石碑をぶっ立てる、口を開けば本当に金の話しかしないヤクザみたいなご住職とか、まあ、いるわけです。そんな人がうまくいけば、廃れかけてた古寺の"再興の祖"として名を残すのだろうが、俺はそのテーマパークづくりみたいな現場がつまらなかった。そこの若い坊さんも。酒の席、相手が若いと見るや"将来"の話をしたがる。聞いてみれば、いかにいい女と実入りのよい自分の寺を持つか、そればかりだった。…それともあれは何かの偽悪だったのか?その寺は悪人正機の宗派ではなかった。(その若い僧はなぜか愛国心を称揚していた。そして中韓は〜云々の話を聞かされた。かれこれ10年ちかく前の話だ。彼は他の職人たちとは懇意で、それで会食に呼んだりもされてたのだが、俺は最後まで打ち解けることができなかった。)
ご住職といい、若い坊さんといい、それはそれでなんだか "リアリズムの寺" って感じだったんだけれども、軍備の必要を説く仏教僧の存在に驚くほど初心でロマンチストな肉体労働者は、あんな世界では自分はとても生き残れないだろう、と思ったものだった。根っこでは、これだから宗教と政治を生業にする人間は信用できない、とも思っていたが。偽りの救済の言葉を商う者たちに災いあれ。俺は幾つになっても、それはそういうエンターテインメントだからとか割り切れるほど大人になれない。

時代が時代ならもクソもなく、出家などしてもしなくても、俺が行くべき場所などないだろう。どこか山奥の寺かなんかで、静かに思索と詩作にふける人生など、ファンタジーの産物なのだろう。

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写真は可翁筆の、どことなくダウンジャケットを着たB-BOY感のある"蜆子和尚図" (東京国立博物館)。
蜆子和尚(けんすおしょう)と言えば、寺に住まうことなく河原に寝起きし、その名の通り蜆や海老を取って暮らしたという禅の伝説的乞食坊主ですね。俺は、その逸話も彼を主題にした禅画もたいそう好きで、ほとんど憧れがあると言っていいくらいだが、こいつって、ようはレジェンド・オブ・ホームレス、河原もののレペゼンやないか。

いつの時代でも、無一文の人と無一物のひとは河原あたりへ行くらしい。俺みたく無気力な人間は、無一文になって仕方なしに行くのだろう。暇を潰すための紙とペン、頭をさっぱりさせるバリカンでもあれば、それもそう悪かないかもしれない。
甘いファンタジーなのかもしれないけど、甘いからそう思うのです。