二重の不幸、あるいは無能力

  後悔は徳ではない。すなわち理性からは生じない。むしろある行為を後悔する者は二重に不幸あるいは無能力である。スピノザ『エチカ』定理54
失態というか、ついてないというか。何年かに一回、こういうのをやらかす。

19の時のバイク事故、俺の過失、相手はヴィンテージのベスパだった。板金だけでうん十万。交換用のウインカーだってそこらにありはしないようだったが、そこは保険屋がうまくやった。問題は、俺の脛と足首の骨がへし折れ、脛の細いほうの骨がズレてくっついてしまったことだ。ギプスを外してからわかった。日常生活には問題ないですよと言われ、事故を起こして落ち込んでた俺は、そんなもんかと引き下がったが、あとから思えばギプスをはめた医者のミスじゃないのか。今でも時折痛むし、そこだけ出っ張ってるし、脛の中で二本の骨の長さがずれてしまったせいか足首の建て付けが悪いと感じる。靴の減り方も変わった。歳をとってから、なんらか問題化するのではないか。

…のちに救急病院の当直バイトなんかをして分かったことだが、あんたが不幸にも救急搬入される病院は、その日たまたま輪番に当たってるだけで、専門性の高い医者でないことがある。(内科医が外傷患者を診るなんてのはもちろんあり得ないが。)あとから処置のミスが判明しても、同じ病院に通い続けるなら誤魔化されることはありうる。大きな外傷で運ばれたときは、早いうちに専門性の高そうな他所の病院に移るべきだ。

あとはそう、すでに1留してた年。俺は単位の計算を間違えて、1単位の不足でさらに留年した。(ふつう1講座につき2単位だろ?そこが味噌だ。)…就職活動もせず出来損ないの絵を描いてる俺に、教授会から戻った恩師は「…わざとか?」と溜息まじりに尋ねた。半ば絶縁していた親に手をついて金を借りた。バイトに明け暮れた。私立大なら中退してた。そんないい加減な奴が中退せず卒業したからって、まともな人生なんて送れる訳ないが。

数年前には、これは相手の過失だが、チャリに乗っててバイクに跳ねられた。膝の皿にヒビが入っていてすぐ動けなくなったが、当初は出勤を急ぐあまり(俺はときどき真面目なんだ)即座に警察を呼ばなかった。これが失着、いろいろ面倒になった。
事故ったら、たいしたことない気がしても即座に警察と救急を呼べ。事故発生からほんの10分後に呼んだ現場検証の糞ポリ公は、徐行ぎみで直進してて数m吹っ飛ばされた土方装束の男よりも、無理なすり抜けから思いつきみたいな右折をきめてきた若い姉ちゃんの肩を持つ酷いもんだった。いちいち俺の失点を探すような誘導的尋問。人の話を聞いてると思えない調書の内容に、いちいちなんでそうなるのですか?と言わなくてはならなかった。
そのあと、すぐ近くの病院までわざわざ救急車乗るの恥ずかしいから脚を引きずって自分で行ったら、むちゃくちゃ待たされた挙句、まるで当たり屋扱いだ。打撲です。大したことない。だって、歩いて来たんでしょう?」ときた。あの医者の胸糞悪い目つきったら。そのとき撮ったレントゲンに写ってたヒビも、一晩かけて腫れ上がり、膝がちっとも曲がらなくなって初めて「あー、ここ折れてますね」だ。とにかく、事故ったらすぐさま救急車を呼べ。どんなに病院が近くても自分で行くな。

交通事故ではないが、先日のもなかなかだった。俺の管理不行き届き?によって他人に迷惑がかかった。それは事実だが、具体的記述は避けるが、今回ばかりは運が悪かったとしか思えない出来事だった。結果、菓子折り持って平謝り、実費を弁償、おそらくウン十万。ウンの中身がまだわからないでいる。

命まで取られやしない、くよくよしても仕方がないとは言え、こういうのは堪える。まったく俺は、なんでこうもこうなんだと思う。努めて思わないようにしてる時点でまだそう思ってる。逃げるためには忘れるしかない。またこの構造だ。


   睡眠をうやまい畏れるがいい!これが第一のことである。そして、よく眠れない、夜なかに目をさましている者とつきあうな!ニーチェツァラトゥストラ』徳の講談