俺の小屋と柵と猛獣

 その場で、なぜうまく言い返せないのだろう。そのせいで、そのあと何日も俺は苦しむ。怒り悲しみは身体に悪いし、仕事の邪魔をする。本すら落ち着いて読めやしない。

問題

 感情は、理性のちっぽけな柵を乗り越えて、俺の小屋を無茶苦茶にする。困る。

困るので、解決策を考えてみる

1.感情を乱す場面を避ける
これは、生きている限り現実的でない。俺の回避型人格歴三十年の経験を省みても、何かの拍子に出くわすストレスに対して脆弱なままの気がする。しかし、なんでもかんでも相手にしている訳にはいかん。くだらんこととは、とっとと縁を切るがよかろう。人生は短い。

2.理性の柵を高く強くする
このマッチョな感じの意見は一聴に値するが、理性の強さと関わりなくそれを越えてしまったものが結果、感情として感じられるのだと俺は解する。いくら理性を鍛えようと、ひとたび乗り越えられたら1と同じく脆いままではないか?しかし、理性の防御柵を強大にできるのなら、何ごとにも動じなくなれるのなら、それにこしたことはないだろうな。でも、どうやってやんの?

3.理性の柵も、それで守ろうとしてる自尊心だか理想だかの小屋も破壊する
 これは、なんとなく格好良いから書いただけだが…(小考)…柵も小屋も隙間だらけで、感情がイケイケドンドンな状態なら何も壊れないんじゃね?…感情と自我に区別なし。感情に浸され、感情の通り抜けるもの、それこそが我なり!というか。いくとこまでいったら煩悩即菩提みたいな感じか?
…なんか気持ち良さそうだけど、そもそもそれで良いなら、初めから柵も小屋もないよな。動物化するか、あるいは死でしかないようにも思える。でも格好良いから保留。でも、どうやって壊すの?

4.小屋とか柵とか忘れて、その辺の草でもむしって巻いて喫っとく。
…だいぶ適当になってきたが、小屋や柵があるなら草のひとつも生えてんだろ、一服キメたらすっきりするかもよ?…嫌な事があっても、それを忘れられるべつの何かに没頭できたら、それはそれで良いだろう。それができなくて困ってるんだが。あと、壊れたものがあったとしたら、それは全く直ってないが。
…うまくやれたら、これは効果あるわ。証拠にって訳じゃないが、ごちゃごちゃ書いてたら、おかげさんで少し気分落ち着いた。飽きてきたので、そろそろつまらん比喩をこねくりまわすのもやめにする。

これを書き出すまで、人に言われた事でかれこれ3日煩悶してたんだが、何に怒ってたのか、もはや自分でもよくわからないんだから、俺もよっぽどおめでたい。外から来た感情は案外と簡単におさまるのかもしれん。