休日は心の洗濯、それもこれもフルオートマティック

このあいだ洗濯機が壊れた。いっけん普通に起動するが、洗ってる途中でアラートが鳴ってそのまま動かなくなる。
そうなってはじめて気づいたのだが、全自動洗濯機には緊急的に水を抜くための手動操作が存在しない。洗面器で掻い出しきれない水はどうなる?腐るに決まっている。ご家庭で水を扱う機械としてこれは許しがたい脆弱性ですよ、奥さん!

排水機構を見つけるのに背面パネルを開け(つまり半ば分解し)、水がちょろちょろと抜けるあいだじゅう堅いワイヤーを手で引っ張り続けなくてはならなかった。それを引っ張る小さなモーターか、その指示系統が壊れたらしかった。

全自動などと機械だかメーカーだかに甘えているからいかんのだ、いっそのこと次は昔懐かしい二槽式にしようか?などと思いながらしばらく手洗いでやり過ごした。洗濯機がなくていちばん困るのは脱水機能が使えないことだ。手絞りは服が目に見えて痛む。

これからは洗濯機はフルマニュアルの二槽式だ、などと思ったけれど、いざ買い替えの下調べをしてみると乾燥機能付きでも単身者用サイズなら安いことを知った。

僕は洗濯物を干す時間が家事の中でもトップクラスに嫌いだ。ついでに言うと季節は冬が嫌いなのだが、その理由の何割かは夜洗った洗濯物が朝までに乾かないことによる。ボタンひとつで乾燥まで?そんなもん、欲しいに決まっている。これを買うぞ。ネットで買ったほうが安いだろうが、とにかくすぐ欲しいので近所の家電量販店に行った。

配送・引取り込みで6.5万くらいとふんでいたが、店頭価格はなぜかWebチラシの価格よりさらに割り引かれており、5万ちょいで済んだ。配送・設置・旧機の引取り・保障期間など諸々含めると迷ったアマゾンより安い。これは意外だった。他店に負けません!的なやつだろうか。世界を席巻する大資本と競争するのは大変だろうなと思った。僕は店で見て欲しいと思ったらその場で買ってしまう馬鹿だが、皆そうではないだろう。

帰ってからは掃除をした。玄関に置きっ放しのクロスバイクを退けないと新旧の洗濯機様が通れないから。今日のように日射しが弱い日は頭がどんよりして動けなくなりがちだが、(冬が苦手な本当の理由はこれだ)今日は久しぶりにロードバイクにも乗ったし、休日としてはよく頑張れている。

 

ほとんど常に精神的にガス欠のような感じがある。
なにかを学ぶとか試みるとかって、精神のエネルギーみたいなものの余剰がないとできない芸当なのだと近頃は痛感する。それは、いくら筋トレしてもオーバーカロリーなしに筋増量は不可能という話とよく似ていると思う。

精神にガソリンが足りない。カロリーが足りない。僕にはなにが足りないのだろう。よくそう思う。

 

人の精神を賦活しそうなものを3大栄養素になぞらえると、休息=糖質、人との交わりやその中で湧いてくる向上心=脂質、得られる対価・つまり金=タンパク質、あたりがぴったりな気がする。
知的満足や気晴らしは心のビタミン・ミネラルなんてのもぴったりじゃないか。僕ら炭素系生物の生存前提となる水と空気は身体的健康と生活環境。僕は無駄な喩えとSFが好きだ。思ってみれば、現時点で考えうるだけのエクストリームな条件を仮設し、そこに生きる人間を考え描くSFとは「無駄に喩え」そのものだ。

 

ところで、さきに挙げた健全な精神的栄養に対して、それ自体は栄養ではないが行動力の源にはなるようなものはよくある。よく効くが、頼ると遠からず破滅するやつ。

責任感や虚栄心はカフェインに似ている。目がさめる、眠れなくなる。忘我や陶酔、逃避への願望をアルコールに喩えるのはどうだろう。良かれ悪しかれ理性的であり続けることへの忌避感が実は我々の多くの行動を規定し云々…などというところまで考えたが、ここまでくると喩えと実際の薬物摂取行動が近接しすぎて話の区別がつかなくなってくる。これぞ心身の不二、我々が生きる諸法の実相ということか。

もうやめにするが、義務感や愛着はニコチンと類比できそうだ。どうでも良いものなのは分かってるのに、なるなかやめらんない感じが。

 

洗濯機の話に戻る。このところ洗濯で困って、いっとき一緒に住んだバングラデシュ人のことを思い出していた。以前も書いたかもしれないが、なんの折だったか、彼はこんなことを言った。

 

「…日本の暮らしはとても便利です。洗濯だってボタンひとつで機械がぜんぶやってくれます。

私の国のお母さんたちは今でも毎日、とても長い時間をかけて川で洗濯をしています。

でも、そんな便利な暮らしのために日本のお母さんたちは毎日怖い顔をして仕事に行きます。

バングラデシュのお母さんたちの洗濯が長いのは、のんびりおしゃべりしているからでもあります。それは彼女たちの楽しみです。

…私にはまだ、どっちが幸せかわかりません」

 

…今は遠い歳上の友よ、僕にもまだわからないよ。