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草食系どころか草そのものの男

食うために働くことも、そもそも食うことも面倒な男に天啓が下った。もう光合成でもするしかない

手加減のない荒行、人びとの好奇の視線、そして無視に耐え抜き、男はついにその能力を獲得した。見るがいい、彼の緑なす髪、青っぽい顔。彼の両足は大地に深く埋ずまっている。脛の毛がひげ根の役割を担うのだというが、それを聞くものはいない。

修業は長く苦しいものだった。まず土を食ったが、それは明らかに間違いだった。
二酸化炭素では肺を破った、で溺死しかかった。しかし成道のいま、それらは男の中で睦まじく手を取り合う。かつては肌を爛れさせた日差しが祝福していた。崩れかけの礼拝堂のような男の身体で、炭素と水素の婚礼が始まるのだ。

「…皆ひとこぞりて見るがいい。これこそが、かのパラケルススファウスト博士が追い求めた科学の結婚の実相である。それは陽が昇るたびに繰り返し繰り返され、絶えることがないであろう。そのたびに滋養にみちた甘露が導管だか師管だかを通ってわたしの身体を満たすであろう。それがどちらの管でも同じことである。わたしはもはや食うために働くことも、食うこともしないであろう。
レタスのような肌色に変わりながら理科が苦手だった男は言った。


ところで、光合成の秘法を会得した男も、ときには風邪くらいひいた。流行りのしつこい夏風邪だった。彼が吐き出したイソジンガーグル液は青紫に変色していた。それを見ていた暇な小学生が、男を自由研究の題材にした。

"地面に生えているおじさんのヨウ素でんぷん反応について"  と題された写真や図入りの手書きの模造紙は、市庁舎の"暮らしいきいき掲示板"に掲出され、やがて国の省庁に送られた。まずは教育学術関連の、そのあと農林水産物関連、それから1億を総活躍させるやつに。

ほどなく男は菊の紋のハッピを着た植木職人たちに足元の土ごと根鉢を巻かれ、目隠しをされ、ユニックで引っこ抜かれて2トントラックの荷台に載せられ、そのまま何処かへ運ばれていった。とかとかつく名前の研究機関だろうと人々は噂した。

ただラボと呼ばれる巨大で窓ひとつない白い建物の内部には、強力な日焼けサロンのライトが昼夜を問わず輝いていた。
そのなかで男は、簡単なアンケートに答える、様々な運動をしてみせる、暗い顔をした女性をあてがわれる…等々の"実験"に"喜んで協力"させられたのち、「栄養価も味も悪くはないが種無し。栽培困難。」と結論づけた農学者の助手達に食われてしまった。あてにしていた業績が不意になった腹いせである。前腕部のおひたしは酒といけると好評だったが、指先の虫喰いの部分はむしって棄てられた。哀れな不稔種の男がそれを知ることはなかった。はにかむ小学生が皆の前で表彰されてから3年後のことである。

時は過ぎ、かつては暇で見どころのあった小学生も忙しい普通の大人になった。
平凡だが幸福に年老いた彼の両親のリビングには、古ぼけた表彰状が記念写真とともに今も誇らしげに飾られている。
おしまい。