suitor to a season (summer)

ずっと付けっぱなしのクーラーを、ふと我慢してみた。俺の部屋は五階だから、風はよく通る。外はそこそこ涼しいようなのだが、室温計が32℃から1ミリも動かない。

俺はいま、エレベーターもない五階に住んでる。一日熱せられた屋根が冷めないのだろう。屋上に登れるなら打ち水でもしてやるのだが、階段の終わりの上に取り付けられてる潜水艦のハッチみたいな屋上入口は、いつも南京錠で施錠されている。自殺防止の積もりなら、そんなのは、うちのベランダで事足りるのだからまるで意味がないし、これでは屋上にワニが棲んでたとしても誰にも分からないじゃないかと言いたい。

汗かきながら、安いウイスキーを氷で飲んでたら、急に分かった。俺は、夏と結婚したい。
 
ずっと誰かと一緒に居るなんて想像したら眩暈がする。恐くて堪らない。しかし夏よ、お前となら、俺はずっと仕合わせでいられる気がする。思えば俺は、ずっとお前のことが好きだった。いまや俺は、お前と居れば、パンツ一丁でも寛いでいられる一人のオッサンだ。
 
まだ俺が、しょぼくれたオッサンでなく、しょぼくれた少年だった頃、俺の夏休みの主な遊び場は、しょぼくれた二階建ての市民図書館だった。夜は、親父が見る野球中継を聞きながら、図書館で借りてきた本を、仏間でごろごろ読んでた。貸し出しは一度に八冊まで。ゲームや玩具をなかなか与えられなかった俺は、ファンタジーやSFの源流を読むことで、その欲求を満たそうとしてた。そんなことも知らず、親たちは俺の読書好きを喜んでいるようだった。トールキン。ヴェルヌやウェルズの小説。アシモフは小中学生では、まだ難しかった。スペースオペラは今でも嫌いだ。岩波とハヤカワのコーナーあたりが俺のテリトリーだった。
日本人の文学は鬱陶しくて受けつけなかった。だいいち魔法や未来の科学が出てきやしない。「R.H.R」や「ガリバー旅行記」のペシミズムにいたく感激して、無意味に暗い顔で数日を過ごしたりした。「ファウスト」は面倒で何度か挫折した。戯曲の持って回った台詞まわしが苦手だったようだ。
 
その頃好きだった画集は、エルンストの廃墟だらけのやつと、ゴヤの黒い絵の載ってるやつ。画集は館内のみ。ギュスターヴ・ドレの挿画による「神曲」、これは借りられた。終劇部分、ダンテの昇天、或いは神の栄光を表す、光の絵。雲から射す眩い光にズームしながら数ページ反複する構成が、日本版の編者による、ややあざとい演出であろうことに、その頃は気づいていなかった。感動した。地獄の最下層、氷漬けのルシファーの絵は何度か模写をした。絵を子どもに教えるようになって、分かったことがある。絵を描く子どもには二種類いる。"絵を描くこと"じたいが好きな子どもと、"絵に描かれているもの"が好きな子ども。才能を感じるのは前者で、これは稀である。彼らは何かを食べるように線を引き、色を塗る。俺は、明らかに後者だった。空想の世界に憧れ、それを手に入れたかっただけだ。
 
高校生に至るまで、夏休みの図書館通いはつづいたが、あれは小学生だったろうか、中学生だったろうか。ボルヘスの「バベルの図書館」を手にとったことがあるようなのだ。しかし、難しすぎると感じて借りなかった。そうして、作者もタイトルも忘れていた。二十歳を過ぎて本屋で「伝奇集」に再会した時(相変わらず、幻想的なタイトルの本に惹かれていたわけだ)、俺は、永遠なる図書館のイメージの既視感と、そこに描かれた思わぬ内容に興奮した。十年か越しに出会ったボルヘスは、俺の知る最高の作家のひとりになった。別に子どもの頃に出会っていなくても、本好きになってさえいれば、いつかは知ったのだろうが、まあ、嬉しかったんだ。
 
市民図書館からは、自分とは違い、地元に遊び仲間のいる子どもたちと出会うのを恐れながら自転車で急ぎ帰った。小学校から私学に通わされた俺は、日に焼けてボールなんかを持ってる少年たちが怖かった。
 夏休みの宿題は、まだやっていないという罪悪感と戦うだけで、星の観察と工作以外は、一度もまともに出したことがない。(それはそれで苦しい戦いなのだ。何とかしなくてはと毎日思いながら、四十日まったくそれに手を付けないでいるのは。)
 
あんなに遠くまで何でもはっきりと見せつけるもんだから、頭がおかしくなりそうな夏の光。夏の夜の、湿った空気のよく分からない親密さ。冬の寒さは、痩せぎすの俺にはとても耐えられない。
 
もうこんな時間か。暑さが気にならなくなってきた。風が涼しい。温度計は動いていない。100円ショップのやつだ、とっくに壊れてるのかも知れない。そんなことより、夏が終わっちまうな。何処かに、ずっと夏休みの国はないものだろうか?