土間、切腹、はたらくくるま

また俺は批難されているらしい。こうなったのはぜんぶ俺のせいであるらしい。なんのことだか俺にはちっともわからないが、強い不満と敵意を、誰もが俺に抱いているのは確かだ。

はいはい、そうっすよ。悪いのは全部俺っすよ。俺は破れかぶれになる。ざけんなよ、こいつら。なんでもひとのせいにしやがって。

はいはい、分かりました。こういうときはアレでしょ。腹を切ったらいいんでしょ?…ええ、切りますよ。バッチリ掻っ捌きますから。
俺はだいたい、こういうシチュエーションでは、侮蔑をこめて、周囲の思う以上のことをしてやろうという気になる。

場所は、行ったこともないような農村の旧家風の古民家。玄関の広くて暗い土間に、俺たちは居た。トトロで、さつきちゃんが電話を借りる家みたいなの。てか、たぶんあれ。そばには、気のいい幼馴染がひとりいるだけだった。
「そやな、この場合しゃあないわ…お前の最期、ちゃんと見とくし。」
俺の期待に反して、奴は俺の切腹をとめてはくれなかった。鏡餅の台みたいのに載って、匕首がポンと出てきた。(誰が用意したのだろう)
ええ?ほんまに腹切れってのか?そう思ったが、後の祭り。言い出したことは引っ込みもつかず、俺は土間に正座して、Tシャツもろとも、匕首を腹に突き立てた。

そしたら痛い。
めっちゃ痛いやんか。

驚くほど痛かった。強がりや軽はずみで、俺は何度も痛い目にあってきたが、これだけは言っとく。切腹はあかん。アレはマジで死ぬ。

強烈な痛みと、溢れだす血。俺は土間に突っ伏した。悔やんでも悔やみ切れない思いが俺を満たす。なにより息ができない。俺は、あんなにリアルに自分の死を感じたことはない。ただし、俺から流れる血は、なぜか不透明な、ショッキングじゃないほうのピンク色をしたペンキにそっくりだった。

思いのほか、死ぬまでには時間がかかるようだった。それまでこの痛みと後悔を味わうのか?正座のまま前に折れた俺の下で、ピンクの水たまりがゆっくりゆっくりと広がっていく。視界はだんだん暗くなり、俺は暗闇と、痛みと、ピンク色しか感じなくなる。

長かった。時が止まったようだった。俺はこんな軽はずみで死ぬ。それがやり切れなかった。ピンク色がゆっくり広がっていく以外には、何も起こらない。
痛み、後悔、恐怖。…生への執着?
俺は、まだ死にたくないと強く思った。みっともないと思いながら、そばにいるはずの幼馴染に、声を振り絞った。

…わるい、やっぱ救急車呼んでくれ…

視界が復活した。よしきた!とばかりに幼馴染は電話をかけてくれた。トトロのさつきちゃんみたく。ああ、やっぱ、こいつは気のいいやつだ。

…しかし、まったく残念なことに、ダイヤルも何もついていないその電話は、どこにも通じていないらしかった。受話器をあげても、誰も通話先を訊いてきてはくれないようだった。

今さら遅い。落胆する俺に、「電話があかんなら、走って呼んできたる!」といって幼馴染は駆け出していった。ああ、やっぱりこいつは気のいいやつだ。

…描きようがないが、そこからも長かった。相変わらず見えるのは少しずつ広がるピンクの水たまりだけ。ピンクの血は、ホットケーキの生地みたいにトロトロと土間に広がっていく。それにしても奴の帰りは遅かった。俺の血は、もうこんなにこぼれてしまった。間に合ってくれるだろうか?

ーーー
奴はとつぜん帰ってきた。すごい機械音とともに。

「ごめん、これしか呼べへんかったわ」
見ると、道路を洗う?巨大なブラシのついた黄色い車のタラップに、奴はつかまっていた。でかいタイヤ。黄色い車体。唸りをあげて回転するブラシ。救急車との共通点つったら、回転灯くらいしかない。

…ケンボウ、それは違うわ…

心底落胆した。こいつは気のいいやつだ。でも、時々こういうことをする…

「あかん?ほな帰ってもらうわー」
幼馴染を乗せたよくわからん働く車は黄色いライトを回転させ、土ぼこりをあげながら土間を出て行った。

あっけに取られてそれを見送ったあと、俺は仕方がないので自分で立ち上がり、腹に匕首おったてたまま、病院を探しに行く。
玄関を出てみると、やはりというかそこは山の中だった。すぐに谷あいの道にでた。難民のような人々が、始まりも終わりも見えない長い長い行列をなして歩いていた。行列は谷の向こう、崖の上の道でも延々続いている。人々はあの山を登っていくようだ。その先には、病院があるに違いない。みんなきっと病院にいくんだ。俺は、匕首の刺さった腹を庇いながら、顔だちのはっきりとしない、すでに死んでいるような人たちの群れにふらふらと加わり…