The Night Has a Thousand of Eyes

 丸くて光るものがダメだったことがある。ある晩、大学からのチャリンコでの帰り、ふとパチンコ屋の壁に並ぶ不恰好にでかくて丸い照明のひとつを見て、なんとも嫌な感じがした。思わず目を逸らしてから、こんなのは馬鹿げてると思った。でも、もう一度見ることはしなかった。始まりは、そんな感じだったと思う。

 その頃の俺は、だいたい夕方から大学のアトリエにふらふら行って、夜中にアパートに帰る生活だった。大学と当時のアパートがあるのは、ほとんどが住宅で、めぼしい商業施設は何もないようなところだった。それでも、道すがらにはいろいろの明かりがある。その中で、ある程度大きくて、丸いライトを直視すると、妙に嫌な感じがすることに、俺はじき気づいた。嫌な感じというのは、こう書くと恥ずかしいのだが、それらと「目が合う」ような感じだった。

とうとう俺も狂ったか?その感じが明らかに不合理なものであることはわかっていた。俺は、怖さ半分、面白半分で丸くて光る物をちらちらと見ては、目をそらすようになった。

 電球くらいの大きさ、明るさなら、見られている感じはあまりしない。透明なガラスのなかに発光体の形がはっきり見えるタイプの街灯も平気。丸くない傘のやつは全然怖くない。球全体が光って見える、磨りガラスの門灯などはダメ。信号も平気。ある種の明るい街灯はあんまり丸くも大きくもないけど、ちょっと怖い。などと、感じかたを意識するうちに、その"感じ"はどんどん強まっていった。発光体の大きさと強さが問題のようだった。

 丸い発光体以外の、印象深い例外として雲があった。確かあれは夕方、俺は四階のアトリエで、友人とコーヒーをのみながらムダ話をしてた。友人の後ろの窓からは、動きの速い雲が見えた。人の目を見て話さない俺は、煙草を吸い吸い、その雲の形をじっと見ていた。そうしているうち、丸い雲のひとかたまりの真ん中に、まん丸い穴がみるみる空いた。俺のクソ頭は即座に「見てたから、見返された、見つかった」と感じた。それはだいぶ悪化してからだったと思うが、もちろん俺は、さりげなく窓の方を見るのをやめて、ムダ話を続けた。

 その数ヶ月、たぶん秋だった、俺の発光体恐怖は順調に悪化していったのだが、なかでも夜の道路工事のでかいボンボリって言うのか、投光器の親玉みたいなやつ、あれは怖かった。あれはかなりでかいし、丸いし、強烈に明るい。その横を通り抜けるとき、俺が感じた恐怖といったら。話が古くて申し訳ないが、ネバーエンディングストーリーで、恐れを持って近づく者を焼き殺すスフィンクスの前を、主人公が通り抜けるようなシーンがあったと思うが、まるでそんな気分だった。そう言えば、あのシーンは俺のこども心に強い印象をのこしたものだったっけ。

 きわめつけは月、正確には、ほぼ真上にある月のまわりに、ものすごく大きな光輪が出ていた夜だった。いつものように俺と友人は、絵も描かずにヘボ碁なんかをして、閉門時刻をすぎてから、グラウンドを横切って自転車置き場へとふらふら向ってた。連れが上を見て「なんじゃこりゃ」と言うので見上げると、俺たちの真上には、見たこともないくらい巨大な月の傘が、空も覆わんばかりにひろがってた。月の傘ってやつを俺は見たこともなかったし、光輪は空いっぱいに広がるくらい大きくて、それはまったく非日常的な光景だった。珍しいものを見た俺たちは、少しはしゃぎながらチャリを漕いで、いつものように門衛に少し怒られて大学をでて、そこで別れた。その頃にはすでに、俺は頭上がかなり気になっていた。空を覆うほど大きな丸いものが俺を見ている。あたり前だが、どこまで行っても月と光輪はついてくる。巨大な空の眼が、俺を見下ろして逃さない。空が見える限り、視線からは逃げられない。俺は、タイヤの空気が半分抜けたような折り畳み自転車を全力で立ち漕ぎして、逃げるようにアパートに帰った。後日、その事を連れに白状すると、一緒に月を見上げてたそいつは、漫画にでもしろ、と言った。

俺は、そのままでは一線をこえるような気がして、光るものや、それへの感じかたに注意するのをやめた。今でも長く見つめないようにしている。久しぶりに試してみたら、あの見られているような感じは、残念ながらと言うか、今でも蘇ってきた。すぐやめた。

見えるものの意味は、俺が予め投げかけているものではないか。俺が見たいもの、見えると思ってるものを、俺は見ているだけではないか。俺はいろんな、ひょっとすると全てのものを見間違えているのではないか?そういう観念が、感触が、俺には子供の頃からつきまとっている。人間一般のことは知らない。誰しもそうだとよほど言えそうだが、さしあたり、俺は他人をそのように取り扱ってはいない。それはたぶん面倒なことになる。問題は俺に見えるもの、それで沢山だ。