水溜り

些細のことでその日の残りを捨ててしまいがちだ。

自分が飲む酒のほとんどがその手っ取り早い手段にすぎないと気づいてからは、とりあえずひとりでは飲まないように、どちらかといえば、あるべき望ましい姿勢としては、程度には気をつけているけれど、酒みたいなものはあれば飲むし、飲めばなくなるし、なければ買いに行く。夜中、雨のなか、まったくほんの些細のことで。

でも考えてみたら、そうしたくなるような事どもなんてのは、僕がずっとひとりきりでいたのなら、はなから起こるはずのないことばかりだった。

水たまりを跨ぐ。

自由意志とはなんなのか。存在するのか。自分にそれを見たことはない。

酔ってもひとりなんかじゃない。

心強い。まったく。

 

 

貧すれば

電車では人を押さないように避ける。スーツ着た坊やのリュックサックや、鼻先で揺れる威張ったおっさんの肘で真直ぐ立てなくなる。

重かろう。疲れていよう。体勢よりは顔を守るために吊革に掴まる。イヤフォンで耳を塞ぐ。

 

レジではイヤフォンを片方外す。ありがとうと言う。ちゃんと聞いてる。何か言うべきタイミングもわかる。俺もやってたからそれ。

落とすように渡された釣り銭が床に散らばる。身を屈めて拾う。

 

いつか暴れる気がする。

いやそれはない。

どんどん。

平穏不安

日差しがずいぶん春らしくなっている。
この季節はしんどくなりがちだ。どこにも行くところがなかった春のことも思い出すし。

この冬はあまり落ちこまなかった。なんだか冬を越した気がしない。

知らぬ間にまた何かやらかしてやしないか。

これからなにかひどいことになるんじゃないか。

こんな調子で夏がきても嬉しくなれるものだろうか。

ぽかぽかしたベランダで、そんなことを思った。

 

異常無し

今週の仕事、だいたい良し。
来週の予定、たぶん良し。

見直しの見直し、やるのが僕ではしょうがない。

 

振り返ってー!帰りの挨拶!
虚空に向かってー!
なんとなーく
黙礼!
これは剣道や空手道場の名残り。

 向こうにまだあと数人。家族もあるだろうに。よく知らないし興味も無いが。

 

整列乗車できぬ年寄り。酔っ払い。

やめてくれそのため息。母親を思い出す。

取り出だしたる文庫本、開いたページにまったく記憶なし。後退する栞。

 

信号待ち。橙色の街灯とオリーブ色の街路樹の向こう、群青いろの夜空の下のほうに淡い黄色みを見つけた。冬服を着た人はだいたい黒い。そして四角い。

 

集合ポスト、邪魔なチラシ、そのほか特に異常なし。
ドアポスト、自治会からの赤紙。次年度から棟の役員らしい。本当に僕の順番なのか。それはどういう決め方なのか。

 

考えても仕方がない。

考えても仕方がない。

 

定位置に鍵、コートはハンガーに。

手洗い、うがい、体調管理。

湯呑みになみなみウイスキー

ごくごく飲んでよし。

寿ぐべし今日の終わり。

天使インマイアイズ

畳に寝転がって天井の蛍光灯に目をやると、白い覆いのなかに羽虫の死骸があるのとキラキラ光るものが動き回るのが見えた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/

ブルーフィールド内視現象
これだ。網膜の血流のなかの白血球が見えるらしい。僕はこのキラキラを見るのが好きだ。
"青空の天使"と呼ばれるらしいこの現象に気づいたのは小学校の体育の時間だった。鉄棒の近く、先生がなにか説明してるとき、赤白帽、体育座り、砂。

 

まばたきせずに動き回る光の点を見ていると蛍光灯の明るさが増したり減じたりするのは発見だった。瞳孔が開いたり閉じたりするのだろうか。しばらく惚けたようにこれらを眺めて週末の終わりを過ごした。

 

埴谷雄高の短編に、閉じた眼を指で強く押すことで見える網膜像を観察し続ける男の話があった。『虚空』という本に入っていたはずだ。もう筋は忘れてしまった。「おのれという実験室」というような言葉があった気がする。それとも独房だったか。どちらにせよ大差はあるまい。

 

何がどうなっていようが、対象なんて可能事の組み合わせにすぎないという気分がある。はっとするのはそれらが見える条件のほうが見えた気がしたときだ。とはいえ、そこで見えるものも所詮は可能事のひとつにすぎない。この身体もそうだ。どんなに目を凝らしても鏡の表面そのものを見ることはできない、という喩えを思い出す。…でも、もし、ひょっとして、そこには天使が映っているのだとしたら!

 

…何を言ってるのかよくわからない。

鏡の喩えは仏教の空論がらみのやつだ。

目が乾いて涙が出た。

 

 

 

 

 

 

虫の声

本をめくりながら、蝉とか草むらの虫が鳴いてるなあと思っていたが、よく考えたらいまは真冬だ。ちなみにうちは五階だ。
なにがそう聴こえるのか気になって、部屋をうろうろ。冷蔵庫とエアコンの駆動音の重なりからそんなふうに聴こえるようだった。

いったんはそれで安心したのだけれど、あんまりはっきり虫の音らしいのが聴こえるので今度は窓を開けて確かめた。僕には意外だったが、この寒さでも虫は鳴いていた。秋の賑やかさはないが、耳を澄ますと微かに聴こえてきた。こおろぎは冬を越すんだったか。うちのより元気がないなと思った。

外にも虫がいるらしいと確かめたものの、窓を締めたほうがはっきりそれらしいのが聴こえるものだから、窓を開けて聴いたのもこれではないかとか、最初からぜんぶお前の頭の中で鳴いてるだけではないかとか、エアコンを止めてベランダに出たらほとんど聴こえないし、だんだんわけがわからなくなってきている。

とりあえず蝉のほうは機械か僕の気のせいというのが今日の結論。こおろぎは明日の帰りに分かるだろう。