空色、黄色

長年の友人と、長くお世話になっているご婦人宅の庭の手入れに行った。
伸びた木々の手入れのほかに、高い所になっている八朔の収穫を頼まれた。
あれが気になってるから採っておいて、と彼女は言うけれど、近ごろは採ってもほとんどぜんぶ僕らにくれてしまう。
彼が上で切り落とす。僕が下でキャッチしそこねる。親方が見てたら怒鳴られるな、と笑った。
陽射しが眩しかった。こんなに暑いのは今日からだねと話した。
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夜道の画鋲・見たことのないもの

駅のタイルで足が滑るような気がした。改札を抜けると今にも出そうなバスが見えた。考えずに走った。僕のどこかで何かがカチカチ鳴っていた。走りついた目の前で乗車口が閉まった。コンマ数秒の落胆。かわりに別の扉が開いた。
 "前からどうぞー" 

「…ありがとうございます」
もごもご言いながら乗り込んだ出口側は混み合っていて立っている隙間もなかった。親切な運転手は、なぜ出口側から僕を乗せたのだろう。分からないけれど理由があるのだろう。

「すいません…」と言いながら人のあいだをすり抜けて比較的空いている後部へ移った。そのときも何かがカチカチ言った。流れてきた小枝が引っかかるみたいに見つけた吊革につかまり目を閉じた。イヤフォンからはピノ・パラディーノのゴム鞠みたいによく弾むベースラインと昔よりいくぶん嗄れたディアンジェロのファルセット。

降りようとする男に押し退けられて目を開けた。ややむっとしたあと、うなだれて下を見ると爪先で何かが光った。右足の薬指の先あたり。ほんのすこし見えただけで分かった。さっきからカチカチ言っていたのは靴底に刺さった画鋲だった。靴の底に画鋲。懐かしいでしょう。

それまでなんでもなかったものが、ひとたび気がついてしまうとどうにも落ち着かなかった。おそらくソールの厚さより短い針が今にも指先に刺さりそうな気がした。かと言って押し合いとまでは行かずとも混み合ったバスのなかで屈んで抜き取る気にもなれなかった。
ここまで刺さらなかったんだからほっといても刺さりやしない。つまりこれは気分の問題だ。僕はこういう感じを他にも知ってる。さてなんだっけ…。バスを降りるまでのあいだ、そんなことを考えてチクチクするような感じを紛らわせた。

運転手にもう一度礼を言ってバスを降りた。バス停から数歩、カチカチ歩いた。なんとなく恥ずかしくって他の人がいなくなるのを待ってから抜き取った。いつから刺さっていたのだろう、画鋲の頭は傷だらけだった。針は意外と真っ直ぐなままだった。

足もとの不安は去り、くらい夜道とひとつの画鋲が残った。刺さりそうなものをポケットには入れたくない。その辺に投げるわけにもいかない。仕方なしに指先に摘んだそれを眺めながら帰った。夜道で画鋲を持っているというのは初めての状態だなと思った。

これだけ生きてきても経験したことのないことがまだまだあるものだ。オフィスで剪定鋏を握りしめてるとか、波打ち際で万年筆持ってるとか。他にもそんな組み合わせはいくらでもあるのだろうけれど、今日の組み合わせは悪くないものに思えた。見ていないと失くしてしまいそうな小さなそれは、街灯やヘッドライトを反射してときどきキラッと光った。
わざと光らせて写真を撮った。
部屋に着くと柱に刺した。


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なんとも言えないわびしい気持ちになったことがあるかい?

仕事先の隣家の婆さんに、うちの庭のツタも取って!と言われた。
たまにいるんだよな、こういう厚かましい人。
それをやって手間賃をもらうのが俺たちの仕事なんだけど。とか思いながら、受注先と近隣の関係を考えて言う通りにした。時間はかけなかった。かけられないし。やり終えて、これでよろしいか?と聞くと、婆さんは真剣な面持ちで俺に向かって手を合わせた。

当初から、正直なに言ってんのか半分くらいわかんなかったけど、たぶん曰く、毎年自分がやってきたけど今年は身体が利かなくて、家族は誰もやってくれない…云々。 

少し経って、婆さんは歩行器兼買い物バッグの上に発泡スチロールの箱を乗せて出て来た。
ジュース置いとくから、あとで皆で飲め、暑いから、冷たいから、と。
箱のなかのペットボトルは、温くならないようにタオルで巻いて、リボンで丁寧に止めてあった。

仕事のあと、そういやそんなで飲み物もらってたんだけど飲む?と仲間に見せた。
タオルを剥いで見ると、それは婆さん家の飲みかけのジュースと、よくわからない茶葉のいっぱい浮いたお茶だった。
俺たちは笑いながら、それらの液体をどばどばと草むらに撒いた。

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まだ生きて、夢など見ている

職場の飲み会。大学の新入生向けレクリエーションみたいな余興。「お互いの下の名前をちゃんと言えるかな〜?」ほとんど誰の名前も言えない僕は「クソつまらん」と捨て台詞を吐いて席を立った…
夢で良かった、とあとから思った。こういうことはよくある。心のどこかで夢だと分かってるからあんな狼藉もできるのだろうか。でもどこでそれが夢の中だと見分けるのだろう。
身のまわりに意識を巡らしてみた。夜気が冷たい。雨の音に混じって遠くで若者たちが騒ぐ声がきこえる。耳が痛い。またマスクをつけっぱなしで寝てしまった。うまく言えないが、この感じ。これが現実の感じだ。
…そう思ったところで目が覚めた。僕はまだ起きていなかった。マスクもちゃんと外してあった。職場の飲み会は苦手だが、べつに余興などはない。

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今朝の夢に出てきた女は気がふれていて、もういないか、あるいはもともといないであろう或る男を探していた。
彼女は彼の顔を知らない。彼は特別な存在であるが、過酷な兵役か何かで記憶を失っており、自分が何者であるかに今は気づいていないと言う。だから見つけてあげないといけない。手がかりは迷彩柄の服だそうだ。

典型的な妄想だと思った。はじめは同情から話を合わせているだけだったが、そのうち僕も一緒になって迷彩を着た男に声をかけるようになった。顔も名前もわからない男を探し尋ねるうちに、なぜただか僕も彼の存在を信じるようになっていった。いや、信じるというよりは身肌でもって感じるというような具合だった。これが他人の妄想に飲まれるってやつかと思った覚えがある。しかし、間違っていたのは僕だ。彼は存在する。

当初、ぼくと女は迷彩柄の服を着た男を闇雲に探したり尋ねまわったりしていた。しかしじきにそんな必要はなくなった。迷彩柄を着た人物がどこに現われるかを感じ取れるようになったからだ。もうすぐあの通りに来ると思えば、そこへ行って待ち伏せしてれば良かった。僕らを避けて通りすぎようとする男のズボンに隠れた靴下だって僕たちは見逃さなかった。ほら、ここにちゃんと迷彩柄がある!…しかし、どの男も"彼"ではなかった。
それが彼かどうかは予知できないにせよ、迷彩を着た男が来るのを感じるようになったのは、それだけ彼に近づいているからのように思われた。

夢の終わりごろでは、僕と女は自分からあれこれ動き回るのを止めて、ただぼんやり彼を待つようになっていた。待てど暮らせど彼は現れなかったが、僕たちにはなんの心配もなかった。いつでも彼の存在を感じていたし、彼が来るのはわかっていた。

クリスマス、知らないひとから白菜を貰う

スーパーでいつものように目に付いた白菜をカゴに放りこんだら、「ニイちゃん、待て!」とでかい声で呼ばれた。地産品コーナーに野菜を卸してる農家とおぼしい婆さんだった。たまに呼吸機を引きずってる爺さんと野菜を並べてるのを見かける。俺はそこの野菜をよく買うが、べつに話した事はない。
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イヤホンを外して、なんすか?と返すと、「これ、1日しか経ってへんけど捨てるヤツや。芽のとこがすぐ膨れてくる、そしたら売れん。わざわざ買わんとこれ持って帰れ!」とやっぱりでかい声で言う。婆さんの持ってる半玉の白菜はたしかに古そうに見えたが、なんだか勢いに気圧されて、おおきに、ほな頂きますー、と応えた。「ここにこうやって隠しとくからな!」婆さんはでかい声で言った。はいい、ちゃんと頂きますから。
他の食材の会計を済ませた後、入り口のレジカゴ置き場の下の隙間に押し込められた白菜を拾いに戻った。地べたに裏返しの白菜があるというのはある意味新鮮な眺めだったが、当のものはやっぱり古くて、切り口は茶ばんでいるし、芯のビニールが当たるところからは茶色い汁が出てきてた。もちろんありがたく頂戴して店を出た。
俺は昨日も今日も明日も、去年も今年もたぶん来年も、ずうっと鍋ばっか食ってる。白菜からすればお誂え向きの人選だし、俺からすればとても実質的なクリスマスプレゼントだ。ありがとうよ、婆さん。

当世風の

駅前の今ふうのカフェが潰れて、今ふうなカフェになっていた。露天にテーブルを出しただけの今ふうなテラス席では、デニムにギャルソンエプロンのお姉さんが、ダークスーツのおっさん1人につきコーヒー1杯の会計を、わざわざ跪いてやっていた。すべてがなんとも当世風。今ふうの店先で威張ってる珍妙な花輪を除いて。
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俺のディムけたガリバーが繁忙期に弱い

一日じゅう頭重く覇気なし。これを打ってるiPhoneが割れたのが今朝なのか昨日なのかも自分のツイートを見ないと分からなかった。それは昨日だ。バス停で靴紐を直そうとしたら胸ポケットから落ちた。たかが30センチの落下で見事に割れた。今日は良いこともあったが、まるで1週間前のことのようだ。忙しい。
まだ仕事しとるべき モニターでは、さっきまで我らがアレックス君が『雨に唄えば』に乗せて老人を蹴り飛ばしてた。映画を借りてくるなんて年に5回くらいです。
ホラーショーな『時計仕掛けのオレンジ』ならもう何度もビディーってるし、ガキの頃に原作も読んだ。そっちには映画ではいっさい説明されないナッドサットの解説があったはずだ。ナッドサットって単語もそこで知ったが、使ったことないし、いまはじめて使ったし、使ってる人も見たことない。そんな言葉存在しないかもしれない。
ガリバーは頭、ディムけるはボケてるの意だったはずだ。だからアレックスの不良仲間のディムってやつは、渾名からしてマヌケ野郎って意味だったと思うけどぜんぶ間違っとるかもしれん。僕はだいたい余計なことしか覚えてないんだが、近頃はそれすらもディムけてる。

今日はもう寝る。駅のTSUTAYAにふらふら入った時点でそんな気はしてた。
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