輪ゴムでヒマを潰せるか

混んだ電車。隣の老人が絶え間なく手をごそごそしていて、何をしているのかと思ったら両手の人差し指と親指に掛けた2本の輪ゴムを組み合わせてそれらをどうにかしようとしているようだった。ほとんどの人がスマートフォンを弄っているなかで、輪ゴム。僕は釘付けになった。

 

二本の輪ゴムは無色とレモンイエローで、普通の輪ゴムより少し太くて、質感も硬そうに見えた。
アヤトリや知恵の輪遊びの類いにしては力が要るようで、彼の肘はときおりがくがくと震えるほどだった。そのたびに僕に当たるのがけっこう不快だった。手指を動かすリハビリかトレーニングだろうか。
しばらくじっと見ていても手指と輪ゴムによる構造がとくに変わることはなく、彼が輪ゴムをどうしたいのか僕にはてんで理解できなかったが、そんな僕の遠慮ない凝視もお構い無しに、彼はとにかく輪ゴムに没頭していた。僕が電車に乗ってから降りるまで、それはずっと続いた。

 

その可能性は大いにあるが、僕はあれが老化防止の脳トレとか、なにか目的があるような行為であって欲しくないと思う。そういうことなら他人にぶつからないところでやれ。
しかし、もはやそう長くも生きていないであろう人間が意味不明の輪ゴム遊びに熱中していると思って見ていると、その様子はなにか素晴らしい、少なくとも興味深いもののように僕には思えた。

ベケットの『モロイ』の主人公は、6つのポケットと口のなかにある7つの「おしゃぶり石」を満遍なく順番にしゃぶるという楽しみとその複雑な手順を嬉々として述べている。純粋な遊びというのはそういうもののような気がする。本当にそんなものがあるのかはわからないけれど。

 

石蹴りインザ河原オブ賽

賽の河原で。きみが蹴飛ばした石は砂上の楼閣を直撃する。砂上の楼閣という言葉に対して、僕はどうしても砂場で作ったお城をイメージしてしまう。砂なのは基礎のほうだと何度思っても、思い浮かぶのは砂のお城。


いっぽう水のほう−ここは河原だから−では泥船が沈みかけているが、船頭が多いので丘に登って安心。安心するな。船頭はすべて河童だ。

 

丘に上がって困り果てる河童。その隣で小判を持ってる猫。猫の額には舌を切られたスズメの涙が降り注ぐ。芝生が生える。青い。芝生の緑と小判の金色のコントラスト。

小判猫の仲間である真珠豚が木に登る。木からは猿が落ちてくる。あっ巻き込まれた。猿豚もろとも川に落ちる、流されていく。少し遅れてソクラテスが流れてくる。不満足げだ。たしかに私はいま流されている。しかし私はこの川が何なのかを知らない…云々。

なすすべもなく丘から見つめる河童たち。彼らも川に身を投げ、流されていった。河童は複数いた。ちゃんと話を聞いてるか?まだここは河原だ。


そこにどんぶらこどんぶらこと桃が流れてくる。桃を割る鉈は、どっかの爺が変な竹を叩き斬ったものだ。叩き割った爺の方は枯木に灰を撒き散らかして花を咲かせたとかいうペテン師でもある。善人ヅラしやがって。桜の木の下には死体が埋まってるんだろう。


裸の王様の驢馬の耳に念仏を唱えるのは誰だ。

糠に腕押し。のれんに釘。出る杭に釘。泣きっ面に釘。鬼の目にもなんとなく釘。仏の顔は三度めが正直。それにも釘打っとけ忘れんな。

 

王様の驢馬の耳には東からの風が吹きつけている。尻尾には蝿が止まっている。鶏の頭の牛の後ろ。アステリオーンは迷宮でまだ見ぬ新しい友だちを待っている。寂しいやつだ。頭は牛、身体は人間。そしてフルチン。

 

想像して見てくれ。天井から寝耳に目薬が。それを見ている障子のメアリー、ならびによく似た感じの少女たち。みんなふりふりした服を着てる。オッス!おらアリス!ウサギを追っかけてる!え?あなたがドロシー?まあ!そちらウェンディさん?あなたたち何の主人公でしたっけ。

 

ウサギが駆け抜ける。そのあと亀。のろま、努力家、子供に虐められながら。太郎は箱を開けたから来れない。ごめん、いまちょっと災厄が噴き出してて。

 

ウサギ。そのあと亀。やや遅れてアキレス。表情が苦しい。足首切られてますからねー。こちら3号車、3号車、第2集団で動きがありました。ケニア出身の人の軽快なストライド、膝の下が長い。そいつら全員を停止した矢が射抜く。光陰矢の如く、少年老い易く学成り難く、全ての道はローマへと1日でございます。蛍の光窓の雪、残りの時間もごゆっくりお買い物をお楽しみください。

 

河童、動物たち、老人たち、王様、仏さま、少女たち、足の速いやつ、遅いやつ、炎上するローマ、窓に刺さった弓矢ギリシャ人、ケニア人、垂れ目サングラスの白バイのやつ…ラクタどもを蟻がせっせと片付ける。キリギリスは歌い続けている。つられて鳴いたキジも撃たれ続けている。ごんぎつね、お前だったのか。ぽろぽろと涙が溢れる。酸っぱい葡萄をお供えする。誰かが積んだ石の上に。

これぜんぶ、お前が蹴った石だよな。

 

 

こぼれる・お酒

ひとり静かに部屋で横たわっているか、どこか外でスケッチでもしている状態が僕の摺り切り一杯で、それ以上に何かが加わると、そのぶんは大体たちまち溢れてしまう。

そこで溢れる気分の量と、僕が自分に流しこむお酒の量は正比例している。点検すれば分かる。

飲むに至る事象は悲喜を問わない。腹が立って飲む。嬉しくて飲む。安心しても飲むし、不安でも飲む。楽しくても悲しくても飲む。しかし、寂しくてというのはない。欠落よりは過剰の感から逃れるためにいつも飲んでいる気がする。

誰にも関わらず、ずっと引っ込んでいられるなら、僕はおそらくお酒を飲まない。純粋にお酒が好きな人はこうではないだろう。

前ほど頼りきりでもなくなった。今日もだいぶ飲んだ。どうでも良い話でした。

散らかり頭

絵を描く部屋の床がほとんど全て見えている。この3年ほどなかったことだ。他の部屋はなんとかできても、この部屋は無理だった。去年も一昨年も、描き損じやゴミに埋もれたような状態で描いていた。

手に持ったものをどこにやったら良いか分からないとか、それを収めたい先が塞がっていたりするたびに苛立ちのあまり叫び出しそうになったり震えがきたりして作業を中断したので、たかが六畳間を片付けるのに数日かかった。

 

さて、久しぶりに物は片付いた。だのに期待したほどすっきりしないなと思ったら、床を覆う白いゴムシートに散らばった絵具の汚れのせいだった。

固まった絵具を剥がしたりテレピンで溶かして拭きながら、ずいぶん長いあいだ、このていどのこともできなかったんだなと思った。

音とにおいと

梅雨の合間ってことになるのかな。いまはほんとうに素晴らしい気候だと思う。

窓を開けて呼吸していているだけですこし嬉しくなる。外を走る車輌が立てる音もやわらかくて親密なものに聞こえる。

選挙のたびに票を入れてる政党の街宣車とか、バカでかいバイクの暖気を延々やってるおっさんに「あなたはなんの権利があって、私の家に騒音を投げ込んでいるのですか?」とか絡みに行く人間にもそんな日はある。

頭の状態の問題だろうな。

できたらずっと、こうでいたいんだけどな。

夕立ち

疲れたバスが止まる直前、外が白く光った。

降りたら滝みたいな雨が降り出した。

少しまてば弱くなるさね。そんなひとたちがバスを降りてもぎゅうぎゅうで狭いゴムの屋根の下。

近すぎだ、おまえら。おれが近すぎる。

 

歩くたびに靴ががぽがぽ言った。いちどそうなってしまえば、かえってにこにこした気分になった。

雨は家に着いてすぐ止んだ。洗った靴を干した。また強く降り出した。